気持ち悪い父親
気持ち悪い父親
女というのは毎年少しずつ心も身体も女になっていく。
例えランドセルをしょっていても義務教育中でも未成年でもそんなものは関係ない。
歳を重ねれば重ねるほど、父親のやった事の気持ち悪さを思い知る毎日だった。
私には異母兄弟姉妹が沢山いる。
そう書けば、少しはあの父親の気持ち悪さが伝わるだろうか。
私の母も私の父も離婚を経験せず、大人になった。
本当に羨ましい事だ。
両親が揃っているのなんて想像してもどうにも全くわからない。
今考えれば、経験がないのだから私の心の傷を理解出来るはずもないのだけれど
正直、親だから期待していた。でもダメだった。
アメリカで生まれ育った人が日本で生まれ育った人と同じ気持ちになるのが不可能なように。
あの人達とは違う星の元に生まれたと思って今はもう悩んではいない。
親子なのに、違う星の元に生まれたのが若い頃は本当に悲しかった。
いつもそれが孤独の起爆剤だった。
「裕福」とは。
はっきり言ってうちはそれなりに裕福だった。
過去形になっているのは言うまでもない。
徳島の百姓だった父方の曾祖父が上京して立ちあげた建設会社がどんぶり勘定で大きくなり、それを父方の祖父が継いだ。
私の父はその建設会社の次期跡継ぎとして生きていた時、母と知り合った。
そして私が生まれた。一人っ子だ。
曾祖父が立ちあげたと言っても別に誰もが知っているような有名な会社ではなく、有名な会社の下請け、孫くらいだろうか。
詳しくは知らないが生活に困る事は一切なかった。
別に自分の事をお金持ちとも思った事もなかった。
自分がいかに恵まれていたかを理解出来るようになったのはつい最近の事だ。
おおよそだが私は2011年位まで、物の値段を見て物を買った事がなかった。
私が欲しいと思えば必ず手に入ったし、手に入らない事が理解出来なかった。
勘のいい人ならわかると思うが、その内それが買い物依存症・ギャンブル依存症(主にソシャゲ)として現れるようになった。
※ちなみに今はギャンブルは全くやらなくなったし、買い物も結構我慢出来るようになってきている。
病院にお世話にならずに治せているので、もの凄い進歩だと個人的に思う。
(まぁこれには理由があるのだがそれはまた別の記事で。)
人からの愛を受けられない代わりにお金だけを与えられる気持ち、わかるだろうか。
愛なんて要らないからお金をくれと思う人が大半だと思う。当然だ。
しかし何も知らない子どもの頃に同じ事が思えるだろうか。
子どもが愛は要らないからお金をくださいと我慢出来るはずがない。
それで成り立った子どもは壊れていると思う。
そして私はその通り、壊れていたと思う。
お金を持った事のある人にしかわからない地獄の世界もあると個人的には言いたい。
でももし私が今よりもっと生活水準の低い場所で生まれて、常に口癖のようにお金が欲しいと言う人生だったらそんな世界があるなら地獄でも行ってみたいと思っただろう。
29年間生きてきてこれだけははっきりとわかった事がある。
裕福を理解出来るのは「大人」だけだと。
ある日、突然。
幅の広い廊下の両壁に沿って、並々と積み上げられた無数の段ボール箱。
私が思い出せる中で1番古い記憶だ。
子どもながらに、「何か」が起きているのだけはわかった。
当時2才。
あの段ボールから全てが始まっている気がする。
私は父親におかえり、と言った記憶が無い。
だからだろうか。
好きになった男性におかえり、と言える時、とても幸せを感じる。
必ず自宅の扉を開けて帰ってきてくれる男性。それが私には居なかった。
後にわかった事だが、私が生まれてすぐ父は女遊びを覚えてしまったらしい。
父もまた孤独の中で育った人なのはなんとなく知っているので、優しくしてくれる女の人達に囲まれた途端、気持ちが解放されてしまったのだろうか。
本当に愚かだと思う。
女遊びの中でも水商売の女性に入れ込むなど、本当に、本当に誠に馬鹿で愚かだと思う。
そこに本当の愛などないのに。
彼女たちはただ生き抜く為にその仕事をしているにすぎない。
そんな理由もあって私は「水商売」というキーワードを目にするだけで意識が飛ぶ。
取り憑かれたようにトラウマとしてそれが蘇る。
ドラマのワンシーンでも、Twitterに上がっている現役の女性の写真でも、関連するものがなんでもスイッチになってしまう。
そして安定剤なしでは生存できない状態になってしまう。
※今はあえて無理をしてこの言葉と向き合っている。長時間は現時点では不可能だ。
水商売以外にも、キャバクラや風俗、男性達がする些細な性的な部位の話、そう言った関連するキーワードを前頭葉がキャッチするとどうもダメらしい。
それは2018年7月現在でも完治していないので再度カウンセリングが必要と判断し、早ければ今週にでもまた通い始める予定だ。
馴染めない。わからない。
3才の時、私は幼稚園に入った。
大きな教会のあるカトリック系の幼稚園だった。
確か安室奈美恵が結婚式を挙げた事がある教会だったと思う。
最初に言っておくがうちは無宗教だ。
あくまで心の中で各自大事に思うものを大事にするという感じで思って貰いたい。
いわゆるお金のある裕福な家の人しか入らない幼稚園だった。
芸能人の子どももいっぱい居たし、一般人芸能人関係なくいっぱい遊んだ。
自分の幼稚園に芸能人の子どもがいるのも別に普通の事だった。
でもいつもどこかで感じていた。
みんなと話が合わない。
昨日お父さんがね!と聞くだけで胸が締め付けられていた。
そりゃそうだ、ごく最近まで土日の親子連れを見ることすら出来なかったのだから。
母を始め私の周りの大人達はみんな必死に隠そうと努力してくれたとは思うけれど、
幼稚園で父親との話を1つも出来ない時点でもうわかってしまっていた。
あぁ、私は要らなかったんだなぁ。捨てられたんだなぁ。
3才から28才位までそれが私の口癖だった。
少し疲れたので続きはまた別の記事で。
その内再編集して綺麗にまとめると思います。
まずはありのままの進捗を残しておきます。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
まーちゃんでした。
宜しければどれか1つ1タッチご協力をば!(土下座)
↓
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
まずは私の生い立ちを話そうと思う。
はっきり言って最悪だ。
世の中には色々な「最悪」がある。
私の最悪の種類は「父親が性的にだらしない」事だった。
女というのは毎年少しずつ心も身体も女になっていく。
例えランドセルをしょっていても義務教育中でも未成年でもそんなものは関係ない。
歳を重ねれば重ねるほど、父親のやった事の気持ち悪さを思い知る毎日だった。
私には異母兄弟姉妹が沢山いる。
そう書けば、少しはあの父親の気持ち悪さが伝わるだろうか。
私の母も私の父も離婚を経験せず、大人になった。
本当に羨ましい事だ。
両親が揃っているのなんて想像してもどうにも全くわからない。
今考えれば、経験がないのだから私の心の傷を理解出来るはずもないのだけれど
正直、親だから期待していた。でもダメだった。
アメリカで生まれ育った人が日本で生まれ育った人と同じ気持ちになるのが不可能なように。
あの人達とは違う星の元に生まれたと思って今はもう悩んではいない。
親子なのに、違う星の元に生まれたのが若い頃は本当に悲しかった。
いつもそれが孤独の起爆剤だった。
「裕福」とは。
はっきり言ってうちはそれなりに裕福だった。
過去形になっているのは言うまでもない。
徳島の百姓だった父方の曾祖父が上京して立ちあげた建設会社がどんぶり勘定で大きくなり、それを父方の祖父が継いだ。
私の父はその建設会社の次期跡継ぎとして生きていた時、母と知り合った。
そして私が生まれた。一人っ子だ。
曾祖父が立ちあげたと言っても別に誰もが知っているような有名な会社ではなく、有名な会社の下請け、孫くらいだろうか。
詳しくは知らないが生活に困る事は一切なかった。
別に自分の事をお金持ちとも思った事もなかった。
自分がいかに恵まれていたかを理解出来るようになったのはつい最近の事だ。
おおよそだが私は2011年位まで、物の値段を見て物を買った事がなかった。
私が欲しいと思えば必ず手に入ったし、手に入らない事が理解出来なかった。
勘のいい人ならわかると思うが、その内それが買い物依存症・ギャンブル依存症(主にソシャゲ)として現れるようになった。
※ちなみに今はギャンブルは全くやらなくなったし、買い物も結構我慢出来るようになってきている。
病院にお世話にならずに治せているので、もの凄い進歩だと個人的に思う。
(まぁこれには理由があるのだがそれはまた別の記事で。)
人からの愛を受けられない代わりにお金だけを与えられる気持ち、わかるだろうか。
愛なんて要らないからお金をくれと思う人が大半だと思う。当然だ。
しかし何も知らない子どもの頃に同じ事が思えるだろうか。
子どもが愛は要らないからお金をくださいと我慢出来るはずがない。
それで成り立った子どもは壊れていると思う。
そして私はその通り、壊れていたと思う。
お金を持った事のある人にしかわからない地獄の世界もあると個人的には言いたい。
でももし私が今よりもっと生活水準の低い場所で生まれて、常に口癖のようにお金が欲しいと言う人生だったらそんな世界があるなら地獄でも行ってみたいと思っただろう。
29年間生きてきてこれだけははっきりとわかった事がある。
裕福を理解出来るのは「大人」だけだと。
ある日、突然。
幅の広い廊下の両壁に沿って、並々と積み上げられた無数の段ボール箱。
私が思い出せる中で1番古い記憶だ。
子どもながらに、「何か」が起きているのだけはわかった。
当時2才。
あの段ボールから全てが始まっている気がする。
私は父親におかえり、と言った記憶が無い。
だからだろうか。
好きになった男性におかえり、と言える時、とても幸せを感じる。
必ず自宅の扉を開けて帰ってきてくれる男性。それが私には居なかった。
後にわかった事だが、私が生まれてすぐ父は女遊びを覚えてしまったらしい。
父もまた孤独の中で育った人なのはなんとなく知っているので、優しくしてくれる女の人達に囲まれた途端、気持ちが解放されてしまったのだろうか。
本当に愚かだと思う。
女遊びの中でも水商売の女性に入れ込むなど、本当に、本当に誠に馬鹿で愚かだと思う。
そこに本当の愛などないのに。
彼女たちはただ生き抜く為にその仕事をしているにすぎない。
そんな理由もあって私は「水商売」というキーワードを目にするだけで意識が飛ぶ。
取り憑かれたようにトラウマとしてそれが蘇る。
ドラマのワンシーンでも、Twitterに上がっている現役の女性の写真でも、関連するものがなんでもスイッチになってしまう。
そして安定剤なしでは生存できない状態になってしまう。
※今はあえて無理をしてこの言葉と向き合っている。長時間は現時点では不可能だ。
水商売以外にも、キャバクラや風俗、男性達がする些細な性的な部位の話、そう言った関連するキーワードを前頭葉がキャッチするとどうもダメらしい。
それは2018年7月現在でも完治していないので再度カウンセリングが必要と判断し、早ければ今週にでもまた通い始める予定だ。
馴染めない。わからない。
3才の時、私は幼稚園に入った。
大きな教会のあるカトリック系の幼稚園だった。
確か安室奈美恵が結婚式を挙げた事がある教会だったと思う。
最初に言っておくがうちは無宗教だ。
あくまで心の中で各自大事に思うものを大事にするという感じで思って貰いたい。
いわゆるお金のある裕福な家の人しか入らない幼稚園だった。
芸能人の子どももいっぱい居たし、一般人芸能人関係なくいっぱい遊んだ。
自分の幼稚園に芸能人の子どもがいるのも別に普通の事だった。
でもいつもどこかで感じていた。
みんなと話が合わない。
昨日お父さんがね!と聞くだけで胸が締め付けられていた。
そりゃそうだ、ごく最近まで土日の親子連れを見ることすら出来なかったのだから。
母を始め私の周りの大人達はみんな必死に隠そうと努力してくれたとは思うけれど、
幼稚園で父親との話を1つも出来ない時点でもうわかってしまっていた。
あぁ、私は要らなかったんだなぁ。捨てられたんだなぁ。
3才から28才位までそれが私の口癖だった。
少し疲れたので続きはまた別の記事で。
その内再編集して綺麗にまとめると思います。
まずはありのままの進捗を残しておきます。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
まーちゃんでした。
宜しければどれか1つ1タッチご協力をば!(土下座)
↓
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
0コメント