養子になった私。消えた父親。現れた養父。
今回は私の生育過程について少し書こうと思います。
思い出したくない記憶も含まれているので若干無理をして書きます。
心の掃除の為、カウンセリングの資料にする為、この先の未来の為。
そして何より、自分に付いた傷を癒やす為に。
通帳を出せ。
養父が生前言っていた言葉で1番よく覚えているのはこの言葉です。
この「通帳を出せ。」という言葉は私が養父の気に入らない態度を取った時に言われる約束事のような言葉でした。
この言葉を聞く度に、母はしかめっ面をして「養父の言う事を聞きなさい・・・!!!」
表情でそう威圧されたのを今でも覚えています。
養父の目の前で泣くと余計に罵倒されるので部屋に駆け込んで泣いていると扉を勢いよく開けて
「良いから早く戻って!!!謝りなさい!機嫌を取り返しなさい!!!早く・・・!」
そんな風に言われました。あの時この世に誰も味方はいないと感じました。
殺してやろうと、何度思ったか。
1人で生きていける力がないから今の生活があるようなものの、何か1つボタンを掛け違えていたら、もしかしたら私は母も養父も殺めていたかもしれません。
実際そんな度胸もないし、やる気もなかったけど、この地獄から救われるなら居なくなってしまえ。
毎日そう思いながら養父が亡くなる2012年まで生きていました。
ちなみに通帳を出せの意味は、養父が母に預けてある生活費貯金全般が入った通帳の中身をごっそり別の場所に移動させる、という意味です。
つまり明日の生活がどうなるかもわからない。
本当に本当に怖かった。
養父の機嫌次第で私の明日は決まっていました。
拒否する権利もあるだろうと思ってくださる方もいるかもしれないのですが、母が養父からの支援を受ける事を選んだのもあり、私の力ではどうする事も出来ませんでした。
養父の正体
養父は実は私の父方の祖父です。つまり厳密に言えば赤の他人ではありません。
血の繋がりはあるけれど本当の父親ではない。そんな感じです。
これを話してしまうと「なーんだ。それって養父でもなんでもないじゃん。おじいちゃんが父親代わりしてくれただけでしょ?」という声が聞こえてきそうなので言わせてください。
あれはおじいちゃんなんて優しいものではありません。
本当に、本当に苦しかった。
恐らくですが、自分の息子(私の本当の父親)が私を放りだして家を出て行ってしまったのでその尻拭いをしようと買って出てくれたのでしょう。
こういう綺麗な言葉で美談にするのは非常に気分が悪いです。
それと同時に、養父が居なかったら今の私は存在していなかったかもしれないと思うと、本当に複雑で心をどこに置いて良いか未だに分かりません。
ここまで読んでくださった方ならわかると思うのですが
私の男性恐怖症はこういった
①責任を放棄し、自分の事しか考えない実の父親
②支配しようとし、理解を示そうとしない暴力的な養父
が主な原因です。
先程からイマイチまとまりのない文でごめんなさい。
本当はもっと書きたいのに。
文章がまとまらないほど若干フラッシュバックしているのもあります。
少しまたこのパンドラの箱を閉じてゆっくりゆっくりこれからカウンセラーさんと頑張っていこうと思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
まーちゃんでした。
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